220728

 久しぶりに10時間以上眠り、何も予定のない休日に困惑する。自分のことをずっとインドアだと思っていたけれど実は家にいるよりも外で何かしている方が好きなのかもしれない。

 Beabadoobeeの新譜を聴きながら家事をする。朝はてきとうに作ったが、昼食を作るのが面倒だ。食欲もたいしてない。近所のフレッシュネスバーガーで本でも読みながら何か軽いものでも食べようと思いつつだらけているとアメリカでの公演を終えたばかりの推しが生配信を始め、自分の好きな曲を流したりとりとめのない話をする。公演を終えたばかりなのにファンと画面越しに交友したいと思う気持ちが嬉しい。

 16時前になってようやくフレッシュネスバーガーに出かけ、カフェラテを飲みながら読書をする。チョン・スユン『言の葉の森 日本の恋の歌』を読み終える。日本文学に魅せられ、翻訳家として活動する著者による65首の和歌とともに綴られるエッセイ集。みずみずしい情感のゆらめく筆致からは翻訳という仕事がもたらす人と人、人と言葉との出会いの尊さと美しさが秋の霧のように立ち昇っていく。

 和歌といえば授業で学んだっきり、万葉集古今和歌集の違いもわからず、覚えているのは田子ノ浦に〜から始まる歌ひとつのみというひどさ。なので和歌と聞くとどうも尻込みしてしまうが、このエッセイを読んだことで生まれて初めて身近に感じられて平安時代の貴族に思いを馳せた。

 そしてやはり改めて強く思うのは恋や愛と呼ばれる感情は時代も国も問わず、人を無性に切なくさせたり強烈に惑わせるものだということだ。これいいな、ああすごくこの感覚わかるな、こんなこと言われたら本当に本当にたまんないな、などと思える歌がたくさんあって、その中でも一番好きだったのは藤原敦忠のこの歌だ。

あひ見ての 後心にくらぶれば

昔は物も 思はざりけり

(恋しい人と会った後の気持ちに比べたら、

昔の思いなど、なんでもなかったなあ。)

 セクシーだなあ。他にも和歌って本当はとんでもなくエロティックなものなのでは……と思わずにいられないような歌が、それもたくさんたくさんあった。でもたしかに顔を合わすこともなく自分の言葉のみで相手を陥落させようとするのだからどうしたって生々しく色っぽくもなるのだろう。もしかしたら和歌は1000年以上前のTinderみたいなものなのかもしれない。

 韓国語は読めることには読めるが、しかしまったく得意ではない。わからないに等しい。一時期勉強はしていたものの本当にそれっきりで、推しの喋っている言語や韓国の文学、ホン・サンスの映画で何を話しているのかわかりたい気持ちはありつつ、papagoなどを始めとした翻訳ツールに頼ってばかりいる。この本には韓国語に訳された和歌も載っているが、日本語の言葉が持つささやかなニュアンスの違いなどは韓国語にどう訳されているのか気になった。本当に久しぶりに、韓国語の勉強をしたくなった。

今日の一曲/aespa "Lucid Dream"