240115 - 0121

1/15 月
リモートワークの合間にIKEAのソファを組み立てる。意外と簡単で、すぐ完成したのでよかった。家が一気に快適になった。夕飯後にソファで横になると、じわじわと鬱のスイッチが入ったのを感じた。何かしなければと思い、オタクの卒業文集zineについて考えを巡らせるも気持ちがしめっぽくなってきて、なんだかいやになった。オタ活思い出ラップのリリックでも作るか、とiphoneのメモ帳を開いて入力したら1時間弱で完成した。韻も踏めている。すごくいい歌詞だとわれながら思う。そしてわたしはそのアイドルのことが本当に本当に好きで仕方なかったんだな、と感傷的になる。

 

1/16 火
Garagebandの使い方がなんとなくわかってきて楽しい。無課金でどこまで行けるか限界を試してみたい思いがちょっとある。
わたしがここ最近なぜやれラップだのなんだの騒いでいるかというと、普通の文章、例えばこの日記のような文章を書くことにちょっと飽きてきたからだ。言葉を使う時に何かしらの制約があるものを始めてみたくてその候補に短歌とラップが挙がり、短歌は文字数を数えるのがめんどくさそうなのでラップを選んだ。ラップを選んだのは他にも理由がある。わたしがヒップホップにまったく明るくないので単純に無知だからなのかもしれないが、ヒップホップの人は男女問わず強さや連帯を重要視しているイメージがあり、強さそのものにあまり価値を見出せず、集団で何かするのも苦手なわたしはそのマッチョな感じがすごく苦手だった。強くなれない人が強くないまま、お金や恋愛のことじゃない、ただたださえない日々についてラップをするのもありなんじゃないかと思って選択したところも少なからずある。

 

1/17 水
昨日の夜はもう明日は水曜日か、と思ったものの、今朝はまだ水曜日か、とため息をついた。ここ数日ずっと異常に眠たいのでどうせ生理前のせいだろうと思う。なんでもかんでも女性ホルモンのせいにしておく。睡眠計測アプリを見たら一週間くらいずっと眠りが浅い。たしかに年始からぐっすりと眠れていないような気がしている。
購入して5年目のiPadbluetoothと繋がらなくなった。仕事中にスマホから音楽を流すとついでにいろいろ見てしまうのでSNSの類を入れていないipadをスピーカーと繋げて再生していたが、bluetoothと繋げた状態でアプリを開くと必ず落ちてしまう。

 

1/18 木
仕事でちょっと悲しいことがあった。気分転換に休憩を取って散歩していると、太陽が屋根に反射して鱗のようにぎらぎらと光っていた。その光の強さは初春の訪れを知らせているようだった。悲しいことは悲しいままにして、その光をぼんやりと見つめていた。
夜は『Saltburn』を見た。どんな感想も話の中核にふれそうなので何も言えないのだが、愛と憎しみや嫌悪はグラデーションのような微かな濃淡で地続きにある感情であると思うし、その機微の振り幅をよく描いていた。ちょっとわかりやすい過激さに走りすぎ・頼りすぎだとは思ったけれど。映画が欧米圏のtiktokでバズるのもなんとなくわかる。

 

1/19 金
1階なのでいつも防犯対策と外から見えないように雨戸のようなもの(としか形容できない)を閉めていることがほとんどで、普段は部屋に太陽の光があまり入ってこない。雨戸のようなものを開ければいいのだけど、己の怠惰すぎる気質によりさぼっていた。だけどふと雨戸をぜんぶ開けてみたら白い光がわあっとあふれんばかりに入ってきて、なぜかはわからないが祝福されているような気にすらなった。光を浴びることの気持ちよさやメンタルにもたらすよい効果を最近すごく感じている。
夜はザ・スリッツのドキュメンタリー『ザ・スリッツ:ヒア・トゥ・ビー・ハード』を見る。ポストパンクのバンドといえばわたしはレインコーツが大好きで(「女の」と言い方をしたが性別を分けずとも大好きなバンドである。二番目はヤング・マーブル・ジャイアンツ)スリッツはファーストアルバムのアートワークから鬼の殺気のようなものを感じて怯んでしまい、きちんと聴きそびれていた。知っているのは古い知り合いにすすめられて聴いた"Typical Girls"のみだったが、歌詞が大好きで曲をモチーフにしたタトゥーを一時期入れようとまで考えていたことを思い出した。映画では70年代のイギリスが女にとっていかに生きづらかったかメンバーたちは口にする。今のロンドンはわからないが、2024年の日本はロンドンとたいして変わらない状況なのではと感じてしまい、今の日本にこそスリッツのような音楽が必要なのではと強く思わずにいられなかった。

 

1/20 土
朝は雨が降っていなかった。昨日の余韻をひきずってスリッツの"Cuts"を聴きながら散歩。脳みそがぐらぐらと揺れるような心地よさ。新宿に行って、両親と一緒に祖母・祖父のお墓参り。父方なので現時点でわたしも死んだらここに骨が入り、名前なども彫られるらしいが、そう思うと変な気分になった。というか自動的に父方のほうに入るって、そもそもなんで勝手にそんなことになってるんだ、といろんな疑問や怒りの源泉に家父長制が存在している。自分が明日死んだらここに入るのかな、とわたしが言うと母親が海とか森に位牌を撒くとかあるよね、と返したので、それってなんだかロマンチックだなと思った。しかし自分にきれいな海や森は似合わない感じがする。でも墓地も陰気で嫌だ。

 

1/21 日
昼ごろ学芸大学の美容院へ。"Contemporary Shit"のスウェットを着て気持ちが高鳴る。施術中、美容院のスピーカーから「彼氏だとか彼女だとか呼び合わない方が僕は好きだ」というフレーズが流れてきてハッとさせられ、shazamで宇多田ヒカルの"日曜の朝"だったことを知る。誰もが知っているような単語で誰にもできない表現をする彼女の歌詞が本当に好き。
髪を伸ばしているので長さはあまり切らず、でも顔周りを軽くしてもらった。うれしい。鏡を見ながら大好きなRed Velvetのスルギみたいな雰囲気に近づいたかもしれないなどと思ったが、しかし振り返ってみると勘違いも甚だしい。でもこういう美容院帰りの浮かれた気分が続けばいいのにと思う。終わったあとはSUNNY BOY BOOKSに寄り、前々から欲しかったものの特に理由もなく買いそびれていた『エトセトラ(特集:アイドル、労働、リップ)』を買った。そのあとは友だちとささっとお茶をする。学芸大学はいいカフェがたくさんある。
夕方に解散したがわたしは何か物足りず、でもどこかに用事があるわけじゃないので何をしようと思いながら帰路に着こうとする。そういえば『ゴーストワールド』の上映期間がそろそろ終わることを渋谷を過ぎてから思い出した。3回目を見ることに決めて、逆向きの電車に乗りなおして渋谷に戻る。

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ゴーストワールド』が上映されてから約3ヶ月、わたしは月に一回のペースで見に来ていた。前回はイーニドに感情移入したが、今日はその身勝手さに心の底からムカついた。でも映画を嫌いになるわけではない。それって友だちに向ける感情の揺れみたい、とふと思う。『ゴーストワールド』の登場人物だけではなく、映画そのものが自分の大事な友だちのような存在になっていることに気づく。

今週の一曲/The Slits "I Heard It Through The Grapevine"